映画界には、数奇な運命をたどった作品は珍しくないが、その裏側はあまり知られてはいない。どの作品も、誰もが順風満帆な未来を歩むことを願って企画される。
2004年8月6日、毬谷友子が初役で舞台を演じたときに始動した『宮城野』映画化の構想。このとき、『宮城野』がのちに数奇な運命をたどる作品になろうとは、誰も思っていなかった。
監督の備忘録によると、クランクインしたのは2007年11月1日。もっとも困難であった資金集めをはじめ、俳優陣の出演交渉・スケジュール調整、スタッフの招集に約3年もの歳月を要したのだ。
撮影期間はわずか1ヶ月。俳優もスタッフも、持ちうる技術を最高潮に高めての短期決戦だった。短期決戦となった理由のひとつに、歌舞伎俳優である片岡愛之助のスケジュールの確保の難しさがあった。愛之助の出演シーンの撮影は舞台が終わってからの深夜しかない。11月29日のクランクアップから編集作業に入り、完成したのは2008年3月28日だった。
時代がデジタル化へと進む中、100年以上の歴史を持つアナログな技法でフィルム撮影された映画が作られたのは、2016年の今、振り返ればこの頃が最終世代だった。
足かけ5年で映画化は実現したものの、今度は公開が決まらないという壁にぶつかることとなる。「作品の内容が暗く、華やかさがない」「原作が人気漫画やベストセラー小説ではない」「アート性が強い上に時代劇」「ストーリーが複雑で上映時間が長い」……。 『宮城野』の公開が決まらない理由として挙げられたものは、まさに昨今の映画業界のトレンドを物語っている。そして、これらが本作の“魅力”でもあるというジレンマに苦しんだ。
なかなか公開が決まらないまま、時が過ぎていった。
公開実現に向け試行錯誤を重ねた結果、原作に忠実に、宮城野という女郎が自己犠牲を謳い上げる、シンプルな展開に編集した<スタンダード版>が各地でデジタル上映されることになり、追ってDVD化された。
一方、<ディレクターズカット版>は広く公開される機会は得られないものの、内外の映画祭などでは高い評価を得ていた。
とくに、印象的だったのは2009年11月28日、イタリア・フィレンツエでのワールドプレミアだ。観客はほとんどがイタリア人。当然のことながら映写技師もイタリア人。イタリア語の字幕をつけて上映されたスクリーンに人々は釘付けになった。イタリアでは吹替による上映が主流のため、彼らは字幕に慣れていない。しかも、このときの上映は入場無料だったことに加え、イタリアの慣習により中盤で休憩が挟まれた。にもかかわらず途中退席する人もなく、エンドロールと同時にわれんばかりの拍手が沸き起こったのだ。
映画や歌舞伎、アートのファン層を中心に、<ディレクターズカット版>に触れた人々から高い評価を得つつも、監督のフィルム上映へのこだわりが強く上映の機会は限られていった。その後、ソフト化もされることなく、お蔵入りとなった<ディレクターズカット版>の存在はファンの間で伝説と化していった。